ミミママのギャラリイV




2003.4.5 竹の台にて
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2002年 秋
 
大徳寺、御所、宝鏡寺、東福寺、永観堂、光明寺、長岡天神 と久しぶりに紅葉狩りを堪能した秋でした。
感嘆の吐息が染めし紅葉かな       大徳寺
夕紅葉孤高の猫の一人旅   御 所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






この彩色の妙!!(永観堂で拾った落ち葉)
東福寺通天橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆
 

 

 

 

 

 
  賀茂川にユリカモメが来ると京の街は冬支度。琵琶湖をねぐらにして毎朝餌場の賀茂川に飛んでくるとか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ほどほどの夢と願いや今朝の春
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





















 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春 の 兆 し に ほ っ と し た ら 突 然 の 寒 の 戻 り に 新 芽 も 震 え ま し た 。

   
ミミ5歳も元気です

 

 

 

 

 

 

 

 





   NO WAR  NO DU(劣化ウラン) NO NUKES(核兵器)

 毎日テレビ、新聞を通して見聞きする戦場のニュースに胸が詰まります。何も出来ないけれど私たちは戦争の影を知る最後の世代でしょうね。子供や孫に私が感動している自然をこれ以上壊さないで残したいとも思います。戦火に巻き込まれるのも嫌だし、子供も孫も戦場に行かせたくありません。
 私の家族は引揚者でした。41,2歳の両親が住む家も職場も財産もなくし、子供達を連れて京都に帰ったのが敗戦の年の12月末でした。
何もかも無くした引揚者の不幸を「戦争反対」の大きな理由にしていた私が、占領していた国に住んい
た事を自覚したのは何時だったでしょう。両親が朝鮮の人達に不当に威張っていたとは思わないけれど、その文化や生活の場を取り上げていたこと、学校や病院を建て産業を組織しても、それは日本人優社会であったことに違いはなく、私達の「敗戦」はその国の人にとっては「解放の日」であり、豊かな生活があった自分達の影に立たざるを得なかった人達を意識したのはいつの頃でしょう。
 4才までの生活に記憶はほとんどない反面、「戦争反対」と言いながら、ずっとうしろめたさを引きっ
ているのも確かです。兄弟姉妹も年齢に応じて記憶はちがいますが、観光旅行の出来ない国でした。
学校での歴史の時間に学び損ねた近代史や太平洋戦争を学ぶ機会を積極的に作ってきたけれど、後60年
近くたった今、便利な生活をしている一方で、大戦前の状況に再び酷似してきている事に不安を覚えます。文字を通しブラウン管を通してしか見えない戦争は「ニュース」でしかありません。火の粉が降りかからない場所にいて、情報だけは恐らく現地の人より得ているのでしょうね。右に左に揺れ動き色々な駆け引きに振り回されながら、何故自分が怪我をし、何故自分が殺され、何故自分が親や子供を失い、住む家や国をさえ何故失うのか、戦場になっている場所にいる人が一番分からないのかもしれません。世界中の誰もが平和を願い、誰もが安穏な日々を願っているのは当たり前のことなのに・・・。
ずーっとこんな「ごまめの歯軋り」をし、脳天気に生きている自分を反省しつつ、やっぱり戦争反対!!



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    桜の花陰で鴨のつがいが日向ぼこ。水ぬるむ春がやって来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を愉しませながらの日々、チャンネルを変えるようにだけではアカンとは思っていますけど・・・。

                        2003年4月6日 みみ・まま